奥銀谷地域自治協議会
かながせ文庫
 【最終更新日:2011/5/21】

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山田治信氏の新町歴史散歩 3

平成23(2011)年5月

川の岩に謎の鑿痕


新町下町の川の対岸にある崖下の細い道は、鉱山がある頃、金香瀬(採鉱=鉱石を掘る現場)に資材を運んだ電車の道でした。

その電車道の下の川の岩盤に奇妙な彫り物があります。それはマンション「アベニール」の裏あたりで、薙刀(なぎなた)と考えられる線刻(線で彫り込んだもの)です。同じような薙刀の彫り物は、猪野々の奥から白口に至る道路わきの岩盤に多く彫られており、白口部落内の各谷にも見受けられるようです。

岩に彫られた彫り物は、金香瀬不動尊祠下の岩盤彫刻文から始まって、その大谷川筋に沿って旧坑と共に象形物、人物像、文字と思われるものが沢山散在するようですが、新町の薙刀と同じものは、白口以外にはないようです。

この彫り物のことについては、柏村儀作氏が昭和49(1974)〜50年の生野町広報「諧和偕和」に発表されており、但馬史研究会発行の但馬史研究 第9号[昭和59(1984)年3月]に柏村儀作の遺稿として収録されています。

白口の彫り物は、道路に沿った岩盤に彫られていますが、新町のものは水に洗われ消えるかもしれない場所に彫られていることも不可思議だとされており、この薙刀の彫り物の意味はいまだに解明されていません。

線刻
市川左岸の水際にある線刻(写真提供:橋爪一夫氏)

しかし柏村氏は、ここで面白いお話をつけ加えておられます。万治3(1660)年頃、生野の諸山は衰退して多くの稼人は他所の山へ移り、火の消えたような状態となりました。無知な稼人たちは、これは魑魅魍魎(ちみもうりょう=山・川・木・石より異気を発する怪物)の仕業に違いないと恐れ、長刀を彫らせて退散を祈ったのではないか。また一つに、白口諸山で採掘した銀石を製錬するため、新町、奥銀谷の吹屋に運ぶための道筋に安全を祈って彫ったのではないか。新町で川の中に彫ってあるのは、当時の道が猪野々から川に降りて川筋を渡り、新町に上がったのではないかというものです。

謎の鑿痕の話をしていると新町の古老が、以前、新町橋下付近の岩盤に甌穴(おうけつ)があると教えてもらったと話されました。さあ甌穴とは何か、さっぱり解りません。まして甌穴の「甌」と云う字など出会ったこともありません。辞書に頼ることにしました。

甌穴とは、急流の川床の岩石面に生じた鍋状の穴。くぼみに入った石が渦流で回転して岩をけずったもの。かめ穴、ポットホールともいう。新町橋の下を覗くと、なるほど岩が色々の形に削り取られていますが、古い橋の橋脚の跡もありよく見ないと取り違えます。

新町橋下
新町橋下の流れ
新町橋下の甌穴
新町橋下の甌穴

しかし石が回転して穴を掘るなど現在の水量や流れの速さでは考えられませんが、昔下箒の断崖の下は深い淵になっており、激流が何度となく断崖を襲ったということで、ここに道路を造るためには幾多の困難な歴史があったようですから、当時の地形や激流を想像してみるしかありません。


  • ✽この様な印刷物の種になるお話や、資料・写真がありましたら教えてください。
    また間違いがあれば、ご指摘下さい。

(文・構成  山田治信)




( こぼれ話  新 町 橋 )

新町橋は、猪野々から金香瀬に通勤するために大勢の人が利用した重要な通路でした。木の橋の上の路面は石混じりの土で蒲鉾のように真中が盛り上がっており、木の欄干は低くて自転車などでは、真中を通らないともし横に倒れたら川へ落ちそうな感じで怖かったです。

猪野々側の橋のたもとは、山の岩が迫っていて狭かったので、猪野々社宅の人たちが、部落の奉仕作業として切り拡げることを相談し、ダイナマイトを使用する許可を取り鉱山の採鉱課の火薬を譲り受け、坑内作業の腕をふるって岩盤を爆破切り拡げました。

以前の橋は、猪野々側がもっと下流で斜めに架かっていました。その後、昭和36(1961)年永久橋になった時、斜めに架けると長さが長くなり費用がかさむためか、交叉する道路と直角に交わらすためか、川と直角に橋を架けたので、昔切り拡げた場所より上流の一番狭い所に橋が取りつき再び狭い道路となりました。

当時、交通を遮断、孔をくりダイナマイトを詰め、岩石の飛散を防ぐため沢山の古畳を集めて来て、それで覆って爆破した人たちの苦労は、現代に生きませんでした。

(文  編 者)




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このページは、ワード文書としてA4用紙3ページにまとめられた「新町歴史散歩No.3」を、編著者山田治信氏の了解を得てWeb文書化したものです。可能な限り原文書の再現に努めましたが、HTMLでの記述上の制約によりレイアウト等に若干の相違があることを御諒解ください。(K.kitami)






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