奥銀谷地域自治協議会
かながせ文庫
 【最終更新日:2013/1/30】


「山田治信氏の新町歴史散歩 11」訂正の理由と参考資料



「新町歴史散歩 No.11」に一部誤解を招くような箇所がありましたので訂正しました。
  訂正前:「金香瀬鉱床発見、開発の始まりとなります。」
  訂正後:「金香瀬大谷筋奥の採掘が始まります。」


訂正の理由
訂正前の「金香瀬鉱床発見、開発」という字句では、この頃(永禄10(1567)年〜元亀元(1570)年)に初めて金香瀬方面の鉱脈が発見され、生野全域からみて少し遅れた時代に、開発が始まったように受け取られるからです。金香瀬方面の鉱脈は主脈から分岐した支脈、細脈が広範囲に分布しており、この年代以前から発見されていて、里近くの脈から掘り進められていたと考えられます。

銀山旧記にも
「この頃の山々に深き鋪(しき=間歩)なし。上走り(露頭または浅き個所の脈)までを掘るなり。それより遥か後こそ奥山は出来て大盛り(おおさかり)する。故に口(奥山に対しての口)の山々穿鑿(せんさく=穴を掘った)の事なし。」
とありますので、それまでは山奥ではなく、里に近い周辺の露頭(鉱脈が地上に頭を出している所)や浅い個所で、坑道を掘らずに採鉱していたことがうかがえます。

それがこの時期、金香瀬大谷筋の山奥で、木の根っこから脈の兆候を見付けて堀はじめ、周辺に多くの脈筋を見付け採掘が始まったということで、ここで現代にいう金香瀬鉱床主脈周辺の地域に、初めて取りついたというのが適切かと思います。

また鉱脈の分布状況や鉱床とか鉱床群とかいう言葉は、現代学術的に解明された上での呼称で、この場面で「金香瀬鉱床」と云う言葉を使用するのも適切ではなかったため訂正しました。(山田治信)




(参考資料)

金香瀬方面の採掘の着手時期と採掘方法に対する考察

露頭掘りから間歩の開発に

天文11(1542)年より祐豊領知(領有して支配する)すと雖も所務(所管する仕事)にかかわり給わず。煙の悪臭を嫌い、所(地元)にて吹く事(鉱石吹き=精錬のこと)停止なり、其の上乱世の折りなれば金銀儲(もうけ)有りても宝となさぬ故に、渡世の栄え(商業の儲け)ばかりにて山稼(やまかせぎ=採鉱)も、しひて(強いて)せず。
よって此節の山々に深き鋪(しき=間歩)なし。上走り(露頭または浅き個所の脈)までを掘るなり。それより遥か後こそ奥山は出来(しゅつらい=現れること)して大盛(おおさかり)する。故に口の山々穿鑿(穿鑿=穴を開ける)の事なし
弘治2(1556)年山名の臣竹田の城主太田垣能登守謀叛して在城す。生野には京正阿弥を差置き弘治3年1カ年間支配す。
永禄元年より天正5(1577)年まで20カ年杉原七朗左衛門支配す。永禄十年堀切の山出来す。銀出ること夥し。されども所にて吹くこと停止なれば、丹波の門野、播磨の市原、荒田、的場、猪笹、大山、但馬の岩屋谷(いわやだに)、津村子(つむらこ)、これ等の所へ持出して吹くなり。
元亀元(1570)年に金木(かなき)、藤木(ふじき)、鞘子(さやご)の山出来す。(小野大谷筋の開発)此の辺は深山にて木茂り表へ鉉通り(つるとほり=脈筋))見えず。大木どものもとにて鉉内(鉱石部分)を見付け間歩をなす。即ち此の木どもを字(あざな=脈の名)にして今に至るも右の如く呼ぶ。間歩どもに銀ある事恰も土砂の如し。
以上

昭和29年11月 福田孝・柏村儀作両氏共述「銀山旧記」1〜2頁より



細脈に対する昔と近代の捉え方役割ならびに採掘方法の相違

前記銀山旧記の記述をみると、古い時代には地表に近いところや細脈を主体に掘っていたことがうかがえ、間歩(坑道)を開いてやや深い部分を掘るようになったのは、その後年数を経てからであったと思われます。

細脈を掘る、地表に近いところを掘るということは、採掘量は別にして効率よく良い鉱石を掘っていたと言えます。それは地表に近いところほど、鉱石の品位がよく金銀の含有率が高いからです。また細脈を掘るということは、周囲の岩石部分を掘らず、鉱石部分のみ掘り採れるので鉱物の含有が多いということです。

この様な古い時代の採掘方法の記述を見て、以前堀跡なのか岩の割れ目なのか疑問であったところも、細脈を掘った堀跡であると確信しました。岩の割れ目と見間違う所が岩山の各所に見うけられます。

それに引き換え、坑道や採掘堀場が一定の幅をもって掘らなくてはならない近・現代の大規模採掘方法では、鉱脈の周囲の岩石部分も含め掘らなくてはなりません。それは採掘幅の中に占める鉱脈の幅との関係となり、細脈を掘ると岩石部分を多く含み、品位が低く含有量が少ない鉱石となりますので採算が悪くなります。従って採掘幅に対して鉱脈の巾が非常に細い個所は、採掘せず放棄することになります。

古文書にある僅かな記述も貴重なことを教えてくれます。(文:山田治信)



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